東京地方裁判所 昭和54年(ワ)11664号 判決
一 請求の原因1、2の事実は当事者間に争いがない。
右当事者間に争いのない請求の原因2の事実と成立に争いのない甲第二号証(本件発明の特許公報、別添特許公報と同じ。)によると、本件発明は、請求の原因3において原告が主張するとおりのAからHの要件に分説することが相当と認められる。
二 ところで、原本の存在及び成立に争いのない乙第二号証によると、本件発明の特許出願前すでに、次の工程からなるマネキン人形のかつらの製造法が公然と実施されていたことが認められ、これを覆えすに足る証拠はない。
(ア) マネキン人形のかつらの土台をポリエステル、布体等で作り、ある程度の長さに切断した化学繊維糸の上端部を接着剤でかつら台の頭上部へ向け下から数段階の線列に分けて順次に張りつけ、初めの第一列の化学繊維糸に次列の第二列の線列の化学繊維糸の張りつけていない部分が重合するように順次に数列の化学繊維糸をそれぞれの上端部分だけを接着剤で張りつけ、
(イ) 乾燥させ、
(ウ) これらの化学繊維をアミカラーに捲きつけ、
(エ) ドライヤーに入れ、
(オ) ドライヤーから取り出して冷やしてから、アミカラーを取り外し、カツトや逆毛を立てる等のセツト処理を行い、このセツト処理中、逆毛を立てながら、その間隙に接着剤ミヤゾールをスプレーで何度も吹きつけ、
(カ) これを乾燥室へ入れて、接着剤が浸透するまで接着剤ミヤゾールを吹きつけ乾燥室へ入れることを数次繰り返えして整形した後、かつらのえりあし付近は裏側から接着剤ミヤゾールを吹きつけて後乾燥させ、
(キ) 必要に応じ、艶出しをかける
(ク) マネキン人形のかつらの製造方法
三 右に認定した本件発明の特許出願前に公然実施されていた方法と本件発明の方法を対比すると、第一に、前者の(イ)と本件発明の要件Bとの対比において、後者には、乾燥後「化学繊維に水を吹きかけて、その一本一本に水分の微粒子を付着せしめ」る工程が付加されている点において相違し、第二に、前者の(ウ)と後者の要件Cとの対比において、後者には、「ピンカールを施」すことが付加されている点において相違し、第三に、前者の(オ)と後者のEとの対比において、前者では「逆毛を立てながら、その間隙に接着剤をスプレーで何度も吹きつけ」るのに対し、後者では「化学繊維の一本一本をつり上げ立てて、その立てた一本一本の化学繊維の間隙に接着剤をスプレーで吹き込」む点において相違し、第四に、前者の(カ)と後者のFとの対比において、前者で裏側から接着剤を吹きつけるのは「かつらのえりあし付近」であるのに対し、後者ではこのような限定がないことが相違するが、その余の部分は、前者と本件発明とにおいて実質的に同一であると認められる。
そして、原本の存在と成立に争いのない甲第六号証の一、二と弁論の全趣旨によると、マネキン人形のかつらを製作する場合、化学繊維糸をアミカラーに捲きつける等の整髪工程前に、化学繊維糸にあらかじめ水分を丹念に吹きつけることは本件発明の特許出願前公知公用の手段であつたことが認められ、本件発明の構成要件Bの「乾燥後、化学繊維に水を吹きかけて、その一本一本に水分の微粒子を付着せしめ」ることとは、前掲甲第二号証によれば、操作的には、「化学繊維に水を吹きかけ」ること(別添本件特許公報二欄一九―二〇行)、「一本一本の毛体を濡らしていくこと」(同四欄一五行)であると認められるから、右の要件は、操作的には、「化学繊維にあらかじめ水分を丹念に吹きつける」ことと同義であり、そうとすれば、前者の方法にこの工程を付加することには格別の発明力を必要としないと認められ、また、第二の相違点であるピンカールを施す点も、このことは自然頭髪を整髪する手段として通常用いられていると認められる日常の経験則に照らせば、これを化学繊維糸による疑似毛体の頭髪を整髪する手段に応用することには格別の発明力を必要としないと認められ、第三の相違点については、もし本件発明の要件Eにおける「化学繊維の一本一本をつり上げ立てて、その立てた一本一本の化学繊維の間隙に接着剤をスプレーで吹き込」むことが、「逆毛を立てながら、その間隙に接着剤をスプレーで何度も吹きつけ」ることと同義であるならば、本件発明の要件Eは前記公然実施されていた方法の(オ)の工程と実質的に同一であり、第四の相違点も、裏側から接着剤を吹きつける範囲の狭広の差異に過ぎず、これを採用するについて格別の発明力を必要としないと認められ、かくては本件発明は前記公然実施されていた方法と実質的に同一もしくは前者から当業者が容易に発明することができたと認められ、本件発明が特許登録された趣旨に適合しなくなる。
そこで、前掲甲第二号証によつて本件発明の内容を検討すると、本件特許公報の「発明の詳細な説明」の欄には、その冒頭に、本件発明の目的が「この発明は、かつらの土台に疑似毛体を緻密に張りつけて処理加工し、一本一本の疑似毛体をつり上げ立てるようにし、極めて精巧に自然的毛髪の如く仕上げることを目的としたマネキン人形のかつら製造方法に関するものである。」と記載され、要件Eに関し、「第5工程(常温冷却と疑似毛体をつり上げ立てて処理)このようにドライヤー処理したものを常温で冷やし、マネキン人形の頭部に被せて後、アミカラーを取り外しながらマネキン人形の種類に合わせて形を整えるようにセツト加工を施す。この際シンナー、ミヤゾール♯5、ボンデンD2等の接着剤をスプレーに入れてハンドドライヤーで吹きつけながら固定してセツトを行い、疑似毛体(化学繊維)の一本一本をつり上げ立てて、少ない繊維に量感を生ぜしめるようにしその疑似毛体の立つた間隙にスプレーで接着剤を吹き込んで一本一本の疑似毛体を崩れないようにする。即ち、繊維が寄り合つて布のような感じにならないようにすることが重要である。このように、繊維の一本一本をつり上げ立てて林立している状態にすることを必須要件とするものである。」と記載され、この必須要件という語は他の工程の説明には用いられていないこと、また、右と同趣旨の「疑似毛体(化学繊維)の一本一本をつり上げ立てて、処理加工を施してその毛体の立つた間隙に対し、接着剤をスプレーで吹き込んで一本一本の疑似毛体を崩れないようにするとともに、糸が寄り合つて布のような感じ又はすべすべした感じを生ぜしめないようにするものである。即ち、疑似毛体の一本一本がつり上げ立てられて、宛も林立している状態に加工処理をすることが大切である。」との記載がさらにされていることが認められ、右の事実によれば、本件発明の要件Eにおける「化学繊維の一本一本をつり上げ立てて、その立てた一本一本の化学繊維の間隙に接着剤をスプレーで吹き込」む工程は、本件発明における重要な要件であることが認められ、これをもつて本件特許発明の特許出願前に公然実施されていた「逆毛を立てながら、その間隙に接着剤をスプレーで何度も吹きつけ」ることと同義に解することはできないといわなければならない。
原告巻島幸三本人尋問の結果によれば、本件発明の発明者の一人である同原告は、本件発明における「化学繊維の一本一本をつり上げ立て」るということは操作的には逆毛を立てることと同じである旨供述しているが、もしそうであるならば、前示のように本件発明が特許登録された趣旨と適合しなくなるばかりでなく、「逆毛」とは、通常、「常の毛並と逆になつた毛」(広辞苑第二版補訂版)、「<1>逆立つている毛。<2>女性の整髪で、櫛で逆立てて髪の毛をふくらませるもの。」(国語大辞典)等の意味を有し、「逆毛を立てる」ということが直ちに「毛の一本一本をつり上げ立てる」ことと同義であるとは認められないことに照らせば、発明者の一人の主観的意図はともかく客観的には、「化学繊維の一本一本をつり上げ立て」るという本件発明の要件は、「逆毛を立て」るという従前の方法とは異なる操作を意味するものと解されなくてはならない。
四 いずれも成立に争いのない甲第三、第四号証の各一ないし七、原告巻島幸三本人尋問の結果によれば、本訴提起前原告らは被告ウエダヘアーの実施していたかつらの製造方法を現認したことはないこと、原告らは被告ウエダヘアー製造のかつらを購入し、そのかつらの出来映えが本件発明の方法を使用して得られるかつらの出来映えと同一であると判断して、このことから被告ウエダヘアーが本件発明の方法を使用していると推測したことが認められる。しかし、原告巻島幸三が本件発明の要件Eにおける「化学繊維の一本一本をつり上げ立て」ることの意義を「逆毛を立てる」ことと操作的に同一であると認識していたことは前示のとおりであり、原告巻島京子も同じ認識であることは弁論の全趣旨から明らかであるから、これを前提にかつらの出来映えが同一と判断しても、このことから直ちに被告ウエダヘアーが本件発明の方法を使用しているということはできず、また、被告らが市販しているかつら(検乙第二号証の二、三、同第三、第四号証の各二)と検証の際被告ウエダヘアーの工場で製作されたかつらの完成品及び半成品(検甲第一ないし第八号証)の出来映えが異つているから被告ウエダヘアーは本件発明の方法を使用しているとの原告主張も、被告らが市販しているかつらが本件発明の方法を使用して製造されたと直ちには認められない以上、その前提を欠き採用できない。その他本件全証拠によつても被告らが原告主張の被告方法を使用している事実はこれを認めることができない。(なお、本訴原告らを申立人、本訴被告ウエダヘアーを相手方とする当庁昭和五四年(モ)第一二二三一号証拠保全申立事件において、「相手方の、マネキン人形のかつらを製造する方法」について相手方所在地に臨み検証する旨の決定に基き、当庁裁判官が同地に臨んだところ、相手方代表者上田泰正が検証の実施を拒絶したことは当裁判所に明らかであるが、本訴において被告ウエダヘアーは右と同旨の検証をする旨の決定に応じ、検証が実施されたのであるから、民事訴訟法第三四三条、第三三五条により準用される同法第三一六条の規定の適用はない。)
五 以上のとおり、被告らが被告方法を使用していることが認められない以上、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの本訴請求は失当といわざるを得ない。
よつて、原告らの本訴請求を棄却することとする。
〔編註〕 本件特許発明に関する事項は左のとおりである。
1 原告両名は次の特許権(以下、「本件特許権」といい、その発明を「本件発明」という。)を共有している。
発明の名称 マネキン人形のかつら製造方法
出願日 昭和三八年一〇月二九日
出願公告日 昭和四四年八月二日
登録日 昭和五二年九月三〇日
特許番号 第八八三四一〇号
2 本件発明の特許出願の願書に添附した明細書(以下、「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は、別添特許公報該当欄記載のとおりである。
3 本件発明を構成要件に分説すると、次のとおりである。
A マネキン人形のかつらの土台をポリエステル、布等で作り、パイレン等の化学繊維を適当の長さに切断し、セツトしたものをその上端部を接着剤でかつら台の中央部を中心にして数段階の線列に分けて順次に中心部に対して殆んど垂直になる如く並列して張りつけ、初めの第一列の線列の化学繊維糸に次列の第二列の化学繊維糸の張りつけていない部分が重合する如く順次に数列の線列の化学繊維糸を夫々の上端部分だけを接着剤で張りつけ、
B 乾燥後、化学繊維に水を吹きかけて、その一本一本に水分の微粒子を付着せしめ、
C これらの化学繊維をアミカラーに捲きつけ及びピンカールを施し、
D ドライヤーにかけて乾燥し、
E 常温に冷やしてから、マネキン人形の頭部に被せ、アミカラーを取り外しながらマネキン人形の種類に合わせて整髪を施し施着剤を吹きつけながらセツト処理を行い、化学繊維の一本一本をつり上げ立てて、その立てた一本一本の化学繊維の間隙に接着剤をスプレーで吹き込み、
F これを乾燥室に入れてシンナー等の混合溶液をかけて化学繊維糸の間に浸透流入せしめて後乾燥せしめることを数次繰返えして硬直なものに整形して後かつらの部分をボデーから取外し、そのかつらの裏側からシンナー等の混合溶液を吹きかけて浸ませて後乾燥し、
G 必要に応じて艶出加工を施して作る、
H マネキン人形のかつら製造方法。